岡山市立市民病院の病室から見えたJR

ばあちゃんの病室、ちょうど電車が見える部屋でした。

4月。入院中の祖母が亡くなりました。
弱々しいながらもまだはっきりとしゃべっていたのに、お見舞いに行った3日後に急変、そのまま・・・。

僕は本家の長男。祖母は昔の人だから跡取りに強いこだわりがあったいうこともあり、ことのほかかわいがってもらいました。
学習机やランドセル、車、結婚など経済的にもとても援助してもらった。

2007年から7年ほど一緒に暮らして、その間事業で成功した祖父との話もたくさん聞かせてもらいました。
夫婦ふたりで一代で財を成したわけですが、知らなかった苦労話やこぼれ話はどれも楽しかった。
ちょうど自分も起業した時期だったこともあり、そのときの話をもとに自社の経営方針をほぼ丸々継承しています。それぐらい影響を受けた人でした。

性格は超強気のイケイケww
お肉大好きのまれにみる元気すぎる人。

その死は告別式に立ち会った僕の娘(3歳)にも大きく影響があり、死んだらどうなるか、もう話もしないし動かない、みんなが悲しむ。
「死」というものを本人なりに一所懸命解釈していました。亡くなってまでも誰かに残すものがあった。

娘が描いた死んだひいばあちゃんの画
「死んだひいばあちゃん描いたのー」と娘(3歳)このあと泣いている家族も描いてくれました。

窓からのこの景色。これがばあちゃんと最後に見た景色になりました。
何の変哲もない写真だけど、僕にとってはずっと記憶にも残る1枚になりました。

(JR山陽本線/岡山市立市民病院)